有坂芙美子
ありさか ふみこ

ワインジャーナリスト。ヴィノテーク・ファウンダー。1980年、日本初のワインと食の情報誌『ヴィノテーク(Vinotheque)』を創刊(2003まで主宰)。以来、世界のワイン産地を訪ね、ワイン造りの現場からワインレポートを送り続けている。 また、国内外多数のワイン・コンクールで審査員を務める。 1987年、スティーヴン・スパリュアを日本に紹介し、日本初の本格的ワイン・スクール、アカデミー・デュ・ヴァン東京校(1987年開校)の共同創立者のひとりとなる。2004年、フランス共和国「農事勲章シュヴァリエ」叙任。著書に、『私のワイン日記』(白水社)、『ワイン遊び』(廣済堂)、『ワインカタログ』(新潮文庫)、『ドイツワインアトラス』(ドイツワイン広報センター)、翻訳に 『カリフォルニアワイン物語』(TBSブリタニカ)、『バルバレスコよ永遠に』(ヴィノテーク)などがある。

ワインビジネスとワイン文化の間で
有坂芙美子


 日本人がワインを受容するとき、いつでも国際的な交流と深い関わりがありました。
 遠くは、天平・奈良時代の正倉院に葡萄酒を飲んだと思われる「夜光の杯」があります。時代は下って、1500年代にポルトガルからイエスズ会修道士の来日と共に、「ヴィノ・ティント(赤葡萄酒、たぶんポルト)」が伝えられました。ついで、明治維新、当時の殖産興業の奨励策に乗って、主食の米でなく「葡萄栽培」して酒を作ろう、という政策。未だ貧しい食生活の時代に、すっぱい葡萄酒を受け入れる要素はありませんでした。そして、1945年終戦。1964年に、東京で初めてオリンピック大会が開かれることが決まったとき、選手村の料理長に帝国ホテルのシェフ、故村上信夫さんが選ばれました。同時に、大量のワインが調達されることになりました。しかし、第1次中東戦争が起こって、フランスワインの輸送がスエズ運河でストップ、国産のメルシャン、サントリーのワインが大いに注目されるきっかけになりました。
 ついで、1970年の大阪万国博で、日本人は、各国の料理とワインを経験するよい機会に恵まれました。今では、外食産業元年、ともいわれる食の祭典でもありました。私にとって大阪万博は、ワインの好奇心を充たすには最高の機会、フランス、ロシア、スペイン、ポルトガルなどのパヴィリオンでは、必ずワインを試飲。徐々に何故違いがあるのかも分かりはじめて、いずれは世界のワイン産地を訪ねるぞ、と大望を懐いたのです。
1984年に「ロンドン・ヴィントナース・スクール」で初めてワインを体系的に学びました。その後、マスター・オブ・ワインのウィリアム先生の紹介状を片手に、フランスのワイン産地探訪を開始しました。パリからロワールに始まり、ボルドー、アヴィニョンの橋のあるローヌ南部を経て、ブルゴーニュに滞在、最後はシャンパーニュのランスで終わる、ほぼフランス一周の旅、ワイン産地の地図ができました。それ以来、毎年、ワイン産地訪問は続いております。
初めてのイタリアは1978年、週末にヴェニスで1泊して、ヴェローナを目指しました。シェイクスピアの「ロメオとジュリエット」の舞台になった町。ソアーヴェを訪ねて、アマローネの干し葡萄の小屋に入って、新鮮な葡萄ばかりではないワインの品質に触れて、イタリア、エノトリア(葡萄のできる国)と呼ばれて以来の、膨大な縦の歴史と多種多様に変化する横軸に出会って、生涯、ワインは産地を見続けるしかない、と思ったものです。
1980年、思いがけなくワインの情報誌『Vinotheque(ヴィノテーク) 』を創刊することになりました。
趣味だったワインを職業に、平坦な道ではありませんが、こうして、ワインを追求しながら生きてこられたのは、ワインの持つ、目に見えない力、不思議な求心力のお陰かな、とありがたく思います。
エトリヴァンの社長佐々木仁さんは、イタリアワイン・ビジネスを展開して27年といわれます。最初、お目にかかったのはシチリア島の貴族・ワイン醸造家の、コンテ・タスカ家でした。英語の通訳でコンテ・タスカのワインを試飲していた私たちのグループに、イタリア語堪能な佐々木さんの登場で、場は一気に明るく陽気になりました。それから数年間、音信不通の後で再会した佐々木さんはすでに立派なイタリアワインのインポーター・ビジネスマン。しかし、ボディが丸く大きく変貌していて、初々しい青年だったシチリアの佐々木さんとは、気がつきませんでした。
ある意味で、変化したその体躯は、独自のイタリアワインを輸入するために、イタリア各地を旅しながら、醸造家を求めて、ワインを試飲して、郷土料理を食べて、地域の歴史を学んで、確かな評価を与えてきた、佐々木さんの体験の証明でした。
 1970年代、キアンティだけしか知られていなかったイタリアワインは、2009年現在、輸入ワインの量では、フランスワインについで第2位の地位を誇っております。それは、パスタ大好き人間の私たちの嗜好にあうイタリア・レストランが多くなったからです。
 輸入量が増えるにつれて、私たち消費者、飲む人々は、多種多様なワインから最も好みに合うワインが選べるようになります。ワイン通からみれば願ってもないようなよい環境といえますが、一方、あたらしいワインは未知のワイン。近年、ワインの品質は間違いなく高くなっておりますから、悪いワインに当たる比率は低いのですが、果たして、好み、嗜好に合うかどうかは飲んで見るまでわかりません。
 そのような時、最も信頼できる情報の一つが、誰が選んできたか、ということなのです。
例えば、エトリヴァンです。輸入し始めたころは、すべてが佐々木さん独自の視点から選ばれたワインで、普通の人には知られざるワインが多かった、ように思います。
 しかし、ヴィンテージを重ねることによって、次第に、ワインの品質・スタイル、飲み頃などが、同じ路線上にくっきりと姿を現すようになります。そのような形にならない情報が読み取れるようになると、もう大丈夫。私有坂の場合は、佐々木さんが選んだワインだから、まだ飲んだことがないワインでも、飲んでみよう、という気分になるのです。
ワインを中心に、3つの立場があります。葡萄畑から食卓まで、といいかえてもいいでしょう。ワインを造る人(栽培醸造家)、ワインを選んで売る人(ワイン商)、ワインを飲む人(消費者)です。中でも、ワインは飲まれて初めて価値が生まれるのですから「飲む人」がもっとも重要です。その意味では、造る人も売る人も、飲む人、なのです。
 私のように、単なる飲む人が頼りにするのは、造る人より、売る人です。外国ワインの場合、輸入してくれる人ですが、そこに、佐々木さんのように頼りがいのあるインポーターがいてくださるお陰で、はるかイタリアのワインが日常的に楽しめる時代がきました。
 ワイン輸入には多大な資金が必要です。もっともシリアスな面です。一方、ワインには、産地にまつわる歴史、風土、人々の暮らしなど一切を含む文化的な要素もあります。ビジネスだけを考えれば、多大な資金を投入して、安く大量に売ればよいのです。しかし、飲む人にとっては、ワインが自ら発揮している文化的な情報を理解するから、よりおいしくなる、という心理的な作用もあります。
 佐々木さんのワインビジネス、必要不可欠な資金をどのように調達されているのか、私にはまったく分かりません。しかし、同時に彼がワインにかけるロマンティックな面は、ワインリストに如実に表現されています。だから、毎回、あたらしいワインリストを読むのが大変、楽しいのです。
 日本のワインマーケットは、まだ、ビジネス本位が多いのですが、ワインビジネスを通して、同時に固有のワイン文化を伝えてくれるインポーター、エトリヴァンは貴重な存在なのです。