エレモ通り5番地の隣人

 1992年夏から丸1年間、フィレンツェに住んだ。正確には、郊外のバーニョ・ア・リーポリという田舎町のエレモ(Eremo)通り5番地に住んだ。そのころは両親も元気で、仕事のことだけを考えていればよかった。
 あるワイナリーから紹介されたのがこの家で、居住面積は160平米でかなり広かった。娘は地元の公立小学校に通った。学校の件が一番心配だったが、結果としては案ずるほどではなかった。
 隣人は、大家さんの畑(領地)を住み込みで面倒をみている元鉄道員のフランチェスコとその奥さんのマリーザ。それから年金生活のジューリオとエッダ夫妻。1年の滞在中、フランチェスコの後ろにくっついて畑の仕事を見て歩いた。ぶどうでいうと1992年のトスカーナは気候的には最悪で、雨の中の収穫だった。収穫期の9月半ばから10月いっぱい、雨天の下で暮らした。それでも、オリーヴの収穫時期になると天気は持ち直した。しかし、オリーヴの実も水分を含んでいて、歩留まりはよくなかった。フランチェスコと一緒に摘んだオリーヴを麻袋に入れて、搾油所に運んだりした。
 フランチェスコが造るワインは、決して美味しくはない。たしかにぶどう以外のものは使ってないし、畑はほぼ無農薬であるが、味覚的には無理がある。フランチェスコ流ビオワインだ。貯蔵はダミジャーノという、ガラス製の20リットルは入りそうな瓶で、ふたはなくオリーヴオイルを少々落として膜をつくり、その上にラップを巻きつけていた。フランチェスコには取引先からサンプルとしてもらったワインをあげたが、それらを飲んだ様子はなく、食事の時には自分が造ったワインを飲んでいた。
 ジューリオとエッダには、障害をもつアレッサンドロがいる。彼らとは今も交流がある。庭には、父が日本から持ってきた八重桜が植えてある。もう16年もたつが、剪定を繰り返したために低木のままで、「これが桜?」という感じだ。それでも季節が巡ると満開になる。この桜の下で何回か花見ワインを楽しんだ。
 サンプルで持ち帰った白ワインは、ここで試飲させてもらう。エッダは白ワイン好きで、素人からの感想が参考になる。彼女は「ここ数年はすっかり舌が肥えて、生協のワインは飲めなくなったね」とボヤく。僕が持ってくるワインの品質にすっかり慣れてしまったからだ。フリウリのバリック熟成の白ワインを最大限に褒めるが、食事となら「こっちの白」と別の瓶を指差す。僕も同感だ。赤ワインになると、やはりバリックを使ったものが「おいしい」と言う。少し値の張るピノ・ネーロを飲んでもらっても、反応ははかばかしくない。エッダが僕のために用意する料理は「アリスタ」というロースト豚肉に決まっている。彼女はこれに合うのはネーロ(トスカーナでは赤ワインをこう呼ぶ)しかないと言う。エッダの家ではキアンティを意味する。
 ああだこうだと食卓でワイン談義をしながら16年が過ぎた。フィレンツェ滞在当時、  自分の車が使えなかった時には、ジューリオに近くのワイナリーまで送迎をお願いした。そういえば、スクールバスは別でも停留所は同じなので、アレッサンドロと娘は彼の車で出掛けていた。1993年初めの寒さが厳しかったころの話。この稿の終わりに、ふとそんなことを思い出した。ジューリオとエッダに感謝する。