シルヴァーノ・フォルミリ

 シルヴァーノを知ったのは、記憶に誤りがなければ1988年の春。当時、彼はカステッロ・ディ・アーマの販売部長を務めていた。このワイナリーに辿りついた理由ははっきりしないが、ローマのワイン屋でアーマのキアンティ1985年を購入して、友人のジャンカルロの家で飲んだ覚えがあるので、それがきっかけになっていると思う。以来、シルヴァーノとは20年を越える付き合いが続いている。彼は僕と同世代、1948年生まれだ。
 90年末にシルヴァーノは、アーマを退職して自らの会社、セレツィオーネ・ディ・ファットリーエ(Selezione di Fattorie)を設立した。91〜92年は、アーマのワインはすべてセレツィオーネ経由で販売されていた。ファットリーエは「小さな農場」の意味。シルヴァーノは、職業経験から自分が納得する小さなワイナリーを選び、それらを市場に紹介するビジネスに向かった。高い品質でありながら、販売チャンネルに回ってないものを意図的に選択していった。あるいは、醸造コンサルタントを積極的にワイナリーに紹介して、品質の向上を助けた。いいものを造りながら外に出るノーハウを持たない小規模ワイナリーを世に送り続けた功績は大きい。ただ、最近のシルヴァーノは少々元気がない。引退とまではいかないが、第一線からは離れつつある。「もう、疲れた」とも言っていた。しかし、僕は彼が何に疲れたのか、なんとなくわかっていた。
 彼が市場に送った小さなワイナリーは、時間とともに成果を上げたが、独り立ちが視野に入ってくると独断専行し、話し合うこともなく一方的に取り引きの終了を通告してきた。ひどい場合はファックス一枚、たった数行のメールで済ませるワイナリーもあった。独り立ちができるようになったことは喜ばしいが、ある日突然というのはあまりにも礼を欠いているのではないのか、というのがシルヴァーノの思いではないか。結果として僕も、そういう苦いというか不快な思いを20年間に何度もしてきた。シルヴァーノから離れても、エトリヴァンと取り引きを継続したワイナリーは珍しくない。僕は、穴埋めのためにセレツィオーネの取り扱いワインの中からいくつかを選んで輸入した。自分だけがいいという訳にはいかないからだ。
 アーマの館で食事をしながら、シルヴァーノとワイン談義をしたころは、ワインバイヤーとしては駆け出しで、教えてもらうことばかりだった。「それぞれのヴィンテージにストーリーがあり、また一本一本にストーリーがある」と彼は言っていた。また「ワインはすべて主観で判断されるもの」と、試飲が終わりに近づくといつも繰り返した。あのころの自分は、職業的な蓄積はゼロだった。あれから20年、ソムリエのようにたくさんのワインを飲んだわけではない。しかし、ある種のワイン、あるワイナリーの特定のワインを職業的関心から継続的に飲んできた。これらの体験を敷衍して、他の生産者のものについても語りたい衝動にかられるが、そこには入り込まない。シルヴァーノが言うように「ワインはすべて主観で判断されるもの」だからだ。僕はこれを自分流に「ワインは理屈が果てた処から始まる」と言い換えた。ワインという飲み物は、曰く言い難い面を多分に持つ。しばしば目にすることだが、新聞の文化欄の音楽評論がいい例で、同じ演奏会の批評でも依頼された人により異なる。これは珍しいことではない。ワインの世界もこれに近い。
 シルヴァーノは、ほぼ年金生活者になったが、仕事のペースをダウンさせただけで、引退したわけではない。フィレンツェで会うと、新しい情報が出てくる。それでも今までのように、二人で車を連ねてワイナリー巡りをすることはもうない。これからは、それをひとりでしなければならない。僕の応援歌は中島みゆきが歌う「ヘッドライト・テールライト」だった。あと5年、この歌に励まされてワイン探しを続けたいと思っている。
万里の遠方よりシルヴァーノに感謝する。