グラスを巡る話




 ワインとグラスの関係が頻繁に話題になる前から、蒲田の倉庫(今は遺物堂と呼んでいるが)にはいろいろなワイングラスがそろっていた。当時(1989-1991年)は、リーデル社のソムリエシリーズのブルゴーニュが4千円位の時代で、まだリーデルジャパンもなく、輸入代理店から手に入れていたと記憶する。大きな形状のグラスは、数が増えるとその置き場所に困った。とうとう、大工に頼んで備え付けの収納戸棚を造った。ガラスの引き戸が付いた、オンボロ倉庫にはいかにも不釣り合いな立派なものだった。そのころは、まだイタリア系のワインを飲むためのグラスは販売されておらず、蒲田に来た人たちは、ソムリエシリーズのブルゴーニュやボルドーを使って、マクランのフラッタやアーマのラッパリータを試飲した。当時購入したソムリエシリーズは、年月と共に破損してしまって、今はほんの僅かしか残ってない。欠損したグラスは何年かかかって補充したが、グラスの収納棚は倉庫を新築する際に一緒に消えた。
 どういうわけか、リーデルとは縁がある。話は1993年の春に遡るのだが、その前に昨年夏、新橋駅近くにオープンした「トットリーネ」で働く山崎尚宏君について触れないと、この話は始まらない。
 山崎君は現場叩き上げの職業人で、ここは僕と共通する。しかし、彼はワインについてピエモンテできちんと勉強と訓練を積んでいる。逆に、僕はピエモンテのワインはからきしダメで、今やっと入門したばかりだ。最近、「トットリーネ」に出入りしている。ピエモンテワインについて訊きたいことがあると、山崎君のところに足が向く。この店はピエモンテワインの宝庫で、20年を越える古酒も出てくるから驚いてしまう。彼はさらりとバローロを解説して、「これ以上は飲む人にお任せします」という流れになる。「トットリーネ」は鳥取県の公設民営らしい。鳥取産北条ワインも並んでいる。ピエモンテとは縁もゆかりもない北条ワインを飲んで、ワイン体験を積むのもまた楽しい。
 さて、話を戻して、1993年の春。当時フィレンツェに住んでいた僕を訪ねて来たこの山崎君を誘って、モンタルチーノへ行った。モンタルチーノには、モンテプルチャーノを経由して向かった。朝、フィレンツェの家を出る時に持たせられた握り飯を、途中のピエンツァで食べた。育つはずがないと分かりながら、梅干しのタネを駐車場の植え込みに埋めた。この日は、偶然にもモンタルチーノで或る会合に参加することになった。参加するというよりも、許しを得て「ちゃっかりその場に居させてもらった」という感じだった。リーデルがブルネッロ・グラスの制作にあたって、生産者の意見を聞くというのがこの集まりの趣旨だった。当日は、ゲオルグ・リーデル(現10代)がいくつかのグラスの説明をしたが、その内容までは記憶にない。覚えていることもある。それは当時、ブルネッロ生産者協会の会長だったタレンティが総括的に言ったことだ。モンタルチーノのサンジョヴェーゼは、キアンティ地区のそれとは異なるから、グラスの形状もそれに適したものがいい、という趣旨の発言だった。とはいえ、あの時、タレンティが言わんとしたことの理解に至ったのは最近である。この話題については、少し先で詳しく取り上げたい。出席していたリーデルに、近いうちにクーフシュテインの工場を訪ねたい、とお願いしたことも覚えている。事実、この年の6月、ザルツブルクからの帰りに見学させてもらった。工場に隣接したショールームの入り口で、不良品と思われるグラスが販売されていた。値段は覚えていないが、現在の通貨で考えると2ユーロ均一の感じではなかったか。欠けたものはなく、気泡が入ったものがほとんどだった。車の旅だったのでかなりの数を買いこんでフィレンツェに持ち帰った。
 僕には、バローロに限ってこだわるグラスがある。山崎君もこの形状のグラスは、ピエモンテではよく見たと言っている。初めてピエモンテに行った時に、このグラスでバローロを飲んだ。1982年の暮れで、場所はブラ(Bra)のレストランだった。それほどバローロに関心があったわけでもないので、この時の銘柄は覚えていない。しかし、この6年後にはチェレットを輸入しているから、バローロには関心があったようだ。愛用のバローログラスは、6本セットでアルバの町で買った。ところが、最近このグラスはすっかり見かけなくなった。時代をどことなく引きずった感じのアンセルマのレストランでさえも、今は使ってない。ではどんな形状のグラスを使っているのか、気になるところだが、これがまた店によって異なる。リーデルが1999年に商品化したワインシリーズのピノ、ネッビオーロ用グラスは案外少ない。しかし、これは不思議なことではなかった。リーデルのホームページの「ワインとグラスガイド」に入るとすぐ合点がいく。バローロは、グラスの形状を選ばないワインなのに、どうして僕好みのグラスは消えてしまったのか。このグラスでバローロを飲むのはまったくの個人的な趣味で、こだわる根拠はなにもない。地元の人たちが、それで地酒のバローロを飲んでいたから、自分もそうしたいくらいのことである。このグラスとバローロが、僕の駆け出し時代の原風景。山崎君もこの風景の中で育った職業人だ。
 エトリヴァンで10年近く倉庫番をする草野眞輔君は、ガラス工芸作家を目指している。彼の父親はガラスを吹いて生計を担ってきた。草野君に「バローログラスを造ってみないか」とけしかけた。彼もチャレンジしてみたいというので、1年をかけて試作品を造ってもらうことにした。必要な機械もすでにアメリカから取り寄せて準備は整った。彼は、師匠なしに造るのはかなり困難なことと覚悟している。その通りと思うが、若いのだからやってみた方がいい。
 草野君にはワインラベルも制作してもらった。1つはこの春に販売した「ロブゲザング(Lobgesang)」。これは、メンデルスゾーン生誕200年記念ワインで、ピエロ・マージに造ってもらった。2010年はシューマン生誕200年と続いて、楽しい。もうひとつは、娘の結婚記念にお願いした。中味はタレンティのブルネッロ2003年。歳月に耐えるワインには、いろいろな楽しみ方があっていいと思っている。草野君自身もラベル制作に意欲的なので、これからは記念ラベルワインの市場開拓にも力を入れていきたいと思っている。

 再びグラスの話。タレンティはあの日、モンタルチーノとキアンティ地区のテロワールの相違が、結果としてグラスの形状に反映された、と言いたかったのだろう。サンジョヴェーゼ種は難しいぶどう品種だ。モンタルチーノでさえも、完熟は毎年というわけではない。内陸に入ったトスカーナ北部の標高の高いキアンティ地区では、完熟は数年に一度という人もいるくらいだ。キアンティには、熟成の難しさに伴う酸味が付きまとう。この酸味は生まれつきなので、瓶の中で熟成してもあまり変わらない。したがって、ソムリエシリーズのキアンティグラスは、酸味を避ける形になっている。一方のモンタルチーノのサンジョヴェーゼ、つまりブルネッロは、完熟に近いので酸味は気にならない。モンタルチーノから直線で20キロたらず内陸に入ったモンテプルチャーノも、気温の上がらない地域で、サンジョヴェーゼの完熟は難しい。同じ理由からリーデルは、ヴィーノ・ノービレ・ディ・モンテプルチャーノにもキアンティグラスを推奨しているのではないか。バローロやブルネッロはグラスの形状に寛大だが、キアンティはその点が難しい。だだし、この10年くらいで多くなってきた国際ぶどう品種(メルロー、カベルネ)をブレンドしたキアンティについても、ソムリエシリーズのキアンティグラスを推奨するのは、現在のキアンティの実情を捉えてないような気がする。たとえば、メルローを混醸したキアンティは、流量が多いブルネッログラスで飲むほうが、このブレンド特有の酒質の厚みやビロード感を楽しめるのではと僕は思うが、どうだろうか。昔、蒲田ではアーマのカズッチャは、ブルゴーニュやボルドーグラスで試飲をしていた。もっとも、1991年にリーデルがキアンティグラスを世に問うた時は、メルローやカベルネを混醸したキアンティ・クラッシコはまだ少数派であった。このように、タレンティがあの日の集まりで総括的に言ったことを理解するまでに、多くの年月を要した。

草野真輔HP