パニッツィ(Panizzi)氏を悼む

panizzi

 10月16日の朝、前日にジャンニ・パニッツィ (Gianni Panizzi)が亡くなったという知らせを受けた。6月21日にサンジミニャーノで会ったばかりなので、突然の訃報に一瞬唖然とした。三年ほど前に大病を患ったと聞いていたので、6月に彼に会う前は少し心配だったが、杞憂だった。なのに、どうしてこんなに突然なのかという思いだ。   
 ジャンニと知り合ったのは1994年の秋だったと記憶する。それまで輸入していたファットリア・ポンテ・ア・ロンドリーノ (Fattoria Ponte a Rondolino)が突然、取引の中止をファックスで知らせてきた。パニッツィは、その頃はまだ醸造するだけで自分では営業活動はしておらず、販売は国内、輸出ともにフィレンツェのセレツィオーネ(Selezione)社に委託していた。ここから紹介されて、サンジミニャーノまで車を走らせた。当時、彼はまだ別の仕事に就いていて、北イタリアのブレッシャから週末だけワイナリーに通っていた。まだヴェルナッチャのリゼルヴァはなく、バリックでの熟成を試みている段階だった。この試作品を試飲した覚えはないが、薄暗い洞窟のような場所にバリックが一本置かれていた。このことが6月に行った時に話題になった。この試作品は木香が強くて、とても飲めたものではなく、捨てたと言っていた。今は立派な商品に育ったヴェルナッチャ・リゼルヴァのスタートはこんなものだった。   
 パニッツィは、ヴェルナッチャに大きく貢献した。ロンドリーノのテルッツィ(Terruzzi)は、その圧倒的な生産量をもってトスカーナ唯一の白ワインともいえるヴェルナッチャを世界に広め、特にアメリカ合衆国では圧倒的だった。一方のパニッツィは、このワインの文化的な側面を伝えるミッション的な役割を担った。ヴェルナッチャ生産者組合の会長に就任してから、サンジミニャーノでシャブリとヴェルナッチャを比較試飲する会が定期的にもたれるようになった。ヴェルナッチャが、実は長命なワインであることは知られてない。輸入している僕自身も、ジャンニから熟成が進んだヴェルナッチャがシャブリと比較して飲んでも遜色がないことを教わった。倉庫に忘れられていたヴェルナッチャを興味につられて開けてみたのはそんな前の話ではない。彼から教わった通りだった。2001、2002年は、とても10年近く前のものとは思えなかった。以来、蒲田の遺物堂に少しずつ残すようにしている。  
 ジャンニはブルゴーニュを回るのが好きだった。ブルゴーニュのレストランでは、白ワインでも複数のヴィンテージがリストに載っていて、そこから選んで飲むのが旅の楽しみだったようだ。彼には子供がいなかった。4年前にワイナリーをパラジェット(Palagetto)に売った。経営から身を退いてからも、生産現場にとどまってワイン造りを担った。僕らの不自由なイタリア語も辛抱強く聞いてくれた。一方的に喋っておしまいという人ではなかった。数の話しかしない生産者が多い昨今なのに、彼はじっくりこちらの説明にも耳を傾けた。本当に仕事がしやすい人だった。  
 フィレンツェのサン・ロレンツォ聖堂に面した自宅からサンジミニャーノまで、自分で車を運転して通勤していた。自宅のテラスからは花の大聖堂の円屋根が目の前に見えるといっていた。次に来るときは寄らせてもらうからと、彼に頼んだのはつい数ヶ月前のこと。  
 ジャンニ・パニッツィは逝ってしまった。この15年で日本で一番多く飲まれたヴェルナッチャは、パニッツィのものであると確信する。そして、今やPanizziはヴェルナッチャの代名詞になった観すらある。きっと彼も喜んでいると思う。ヴェルナッチャ2009年を開けてジャンニに献杯。またサンジミニャーノで会えそうな気がするので、一番淋しくないフォーレのレクイエムをかけて追悼した。いつ会ってもそのすがすがしさが印象に残る好人物だった。

2010年10月17日
新横浜 不昧庵
佐々木 仁


追記
 10月20日は、エトリヴァン秋の試飲会だった。今回の僕の担当はフリウリの白ワインで、主に古酒を中心に準備を進めていた。16日の朝、パニッツィ逝去の知らせが届いた。多分あるのでは、と思って駒岡倉庫の中二階に上がってみた。パニッツィのヴェルナッチャ・リゼルヴァ1997、1998、1999が複数本残っていた。フリウリを少し削って、これらを試飲会で並べた。大勢の人がこれらのワインを試飲した。1997年は少し傷んでいたと判断したが、98年とは1年の差しかないのでヴィンテージに起因するとは考えにくい。保管条件は同じなのでボトルのストーリー。この日どれだけの人がこれらのワインを飲んだかは分からないが、ヴェルナッチャが長命であるという、ジャンニのメッセージを伝えるいい機会になったのではないかと思う。

2010年10月23日