ブルネッロ偽装事件に思うこと

 2008年4月、Vinitaly開催中に発覚したブルネッロ偽装事件の顛末はどのようなものだったのか。手に入れた資料をもとにしてまとめてみた。この事件がどんなことだったのか、その中味が少し見えてきた。一方で、問題となったワイナリーのブルネッロが相変わらず、評価本や専門誌で高い評価を受けている現実を前にして唖然とする。文化というか、モラルの相違がありそうで、日本人には分かりにくい面が多い。
 まず、この事件はそもそも何だったのか。いくつかのワイナリーが、サンジョヴェーゼのみで醸造するという生産規定に反して、他のぶどうを混ぜたことに端を発している。そして、この規定破りの偽ワインをブルネッロとして市場に出荷した。これは、明らかに食品偽装で、最近我が国でも起きた一連の偽装事件を想起させる。消費者を意図的に錯誤させ、インチキなものを買わせた点は、中国産うなぎ蒲焼事件と共通する。日本産うなぎ、あるいは高級ワインとしてのブルネッロの商品イメージが巧みに利用されている。混醸されたものはどんなに美味しくても、それはブルネッロではない。健康被害がなかった点も両事件に共通する。うなぎが中国産か日本産かその識別は専門家にも難しいという。サンジョヴェーゼのみなのか、そうでないのか、これも試飲では識別がつかないというから、共通点は多い。ぶどうの状態でのDNA鑑定は可能だが、ワインになってからはできないと聞いている。
 では次にどのようなことが明らかになってきたのか、以下レプッブリカ紙(Repubblica)フィレンツェ版が伝えた記事をもとにまとめてみた。今回の事件にかかわったワイナリーは、フレスコバルディ(Frescobaldi)、バンフィ(Banfi)、バルビ(Barbi)、アルジャーノ(Argiano)、アンティノーリ(Antinori)、ネーリ(Neri)であった。FrescobaldiとArgianoは裁判で争う姿勢も見せているが、ほかのワイナリーは事実を認めている。
 Banfi、Frescobaldi、Antinoriは、アメリカに大量のブルネッロを輸出しているワイナリーで、ワイン専門誌のWine Spectatorで上位にランキングされる常連メンバーである。ここでは単なる偶然として考える。ただひとつ言えることは、日本人のモラルからは、おおよそかけ離れた結果になっている。たとえ健康被害はなくても食品偽装にかかわった当事者は、少なくとも日本では世の中の批判に押されて市場からの退場を余議なくされている。日本では司法の判断は別にして、消費者がこういう不正義は許さない。ところが、ブルネッロ事件のワイナリーは今も市場に存在し、ブルネッロの販売を続けている。
 たとえば、Wine Spectator 2008年10月31日号では、Neriのブルネッロ2003年、また2009年10月31日号でも2004年が高い評価を得ている。評価は別にして、偽装にかかわったワイナリーの、しかも問題となっているワインそのものが、何事もなかったかのように顔を出している。これには少なからず違和感を覚える。やや意地悪な疑問を繰り出すが、この専門誌のテスターはいったいどちらのブルネッロを飲んだのだろうか。サンジョヴェーゼのみのものだったのか、それとも混醸されたものだったのか。Neriは2003年ブルネッロ、29300本、また2004年は21800本の格下げを命じられている。規定上、ロッソ・ディ・モンタルチーノのラベルでも販売はできない。司法はどのような証拠によってクロと判定し、格下げを命じたのだろうか。目の前の新聞記事だけではこのことは分からない。それはともかく日本なら偽装にかかわったワイナリーの商品は試飲の対象にすらならないのではないか。またそのようなワイナリーが市場で生き延びていること自体が、不思議でならない。文化やモラルの相違だけでは説明がつかないものを感じる。
 次に具体的な数字で今回の事件を振り返ってみよう。調査は2003〜04年のヴィンテージについての結果である。


グラフのように、ブルネッロは130万リットル、ロッソ・ディ・モンタルチーノは50万リットル、キアンティ・クラッシコは15万リットルの偽装が判明し、以上3つのワインは、IGT(原産地域限定規格、ここではトスカーナ地域を指す)に格下げするように命じられている。トスカーナ地域限定規格ワインは、トスカーナ州で収穫されたぶどうのみで醸造されたワインをいう。混醸ブルネッロもこの規格(IGT)で販売していれば、大騒ぎにならなくて済んでいた。偽装は見ての通りロッソ・ディ・モンタルチーノにも及んでいた。キアンティ・クラシッコにも格下げが命じられているが、これは意外であった。このワインには、トスカーナ州で収穫されたぶどうを、主原料のサンジョヴェーゼに混醸することが規格上できるので、具体的に何が問題だったのか分からない。今回の捜査では、トスカーナ地域限定規格を標榜しながら、地域外の州で収穫したぶどうを混ぜたワインも摘発されている。ひょっとしたら、上にあげた数字は氷山の一角なのかもしれない。
 これは筆者の個人的な推測でしかないが、今回の事件の背景を考えてみた。それは、アメリカ市場の消費者が求めたワインのスタイルに合わせた結果だったのではないかということだ。アメリカ市場には、数えきれないほどのいわゆるスーパートスカーナワインが溢れている。スーパートスカーナには生産規定があるわけではない。ぶどう原料がサンジョヴェーゼのみのもの、サンジョヴェーゼにメルロー、カベルネを混醸したもの、あるいはボルドースタイルのものなど様々だ。ブルネッロはサンジョヴェーゼ単一で醸造するという生産規定があり、これは厳守されなければならない。最近のアメリカ市場ではサンジョヴェーゼに国際品種とも呼ばれるメルローやカベルネを混醸したワインが好まれる傾向が顕著だ。Banfi, Antinori, Neriなどアメリカに大きな市場を持つこれらのワイナリーは、アメリカ好みのスタイル、言い換えるとスーパートスカーナ風のブルネッロを造るために混醸に走ってしまったのではないだろうか。もちろん、これらをトスカーナ地域限定規格ワインとして販売していれば、何の問題もなかったのに、ブルネッロと錯覚させたことが、社会から責められていると筆者は考えている。
 あるブルネッロ生産者はこんなことを言っていた。
 「サンジョヴェーゼが完熟するモンタルチーノで、どうしてああいうものを入れる必要があるのだろうね。映画の見過ぎじゃないの。キアンティの山の中のサンジョヴェーゼに混ぜるのなら理解できるけど。ダメな年のキアンティも、混ぜ物があって酸っぱいだけのワインから抜け出せたのだから」
 映画とは『モンドヴィーノ Mondovino』のことだろう。この生産者が言っているのはテロワールを考えての見解で、ワインもマーケティングの産物であるということには関心がない。ヨーロッパに販売先を持つワイナリーは、スーパートスカーナ風ブルネッロを造ろうと思ってみたこともないのではないか。アルプス以北の消費者の好みはソフトな赤ワインではなく、タンニンが少しずつ収まっていくタイプである。なんとなくこのあたりに今回の事件の背景がありそうな気がする。