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2011新春イタリア試飲の旅レポート

 

 重い腰を上げて、1月15日から約2週間をかけて試飲の旅に出た。12月中旬の大雪で18時間も高速道路で立ち往生をした人間が身近にいたので、少々重い気分で日本を出発した。結果的にはすべて順調だったが、フィレンツェは朝の気温がマイナス3度の連続で、エンジンはすぐにかかるが、念のために暖気を数分してから動かした。久し振りに窓に張り付いた氷をプラスチックのヘラでかき落とすようなこともした。モンタルチーノの道路脇にはまだかなりの残雪があった。町の入り口の丘陵には少し雪が残っていたが、南に向かうと、つまりサンタンジェロの方面には残っていなかった。向かうイル・ポッジョーネはワイナリーの施設が新しくなり、そこまでの道はまだ舗装されていない。ホテルの主人が「あっちは、少しまえに走ったけど、雪はなかった」と言っていたが、念のために電話して確かめた。砂利道の脇には雪が残っていたが、支障なく到着できた。このことはやはり「ミクロクリマ」があることを思い出させた。そういえばサンタンジェロはモンタルチーノでも気温が高い地域だ。

Brunello 2006年

 イタリアは最近、飲酒運転に対する社会の目がいっそう厳しくなっている。試飲とはいってもアルコールは入るので、今回はフィレンツェのホテルまで来てもらった。シーロ・パチェンティポタッツィーネが別々の日の昼間に来てくれた。彼らが持参した2006年ブルネッロを昼食の卓で飲んだ。数年前に樽から試飲させてもらった時と比較すると、だいぶ角が丸くなった印象だ。これは後者の話。前者は香りの拡散が小さかった。これは開けた時間とも関係しているのではないか。バリックを使用している割にはタンニンに力を感じた。翌日、もう一本開けてみた。ほぼ同じでボトルによる差違は認められなかった。
 ファンティ、イル・ポッジョーネのブルネッロ2006年もよい仕上がりだった。前者はモダンなブルネッロで、非常に飲み心地がいい。後者もいつになくエレガントにできあがっていたが、まだまだ伝統的な線にとどまっている。しかし、微妙な変化も見られる。これはあとでも話題になるので、これ以上は触れない。驚いたのはファンティのブルネッロ2005年の廉価版で、良い感じに熟成していた。昨年6月はロッソ・ディ・モンタルチーノに毛が生えた程度のものだったが、今回はピッコロ ブルネッロに成長していた。やっぱりワインは時間で良くも悪くも変わっていく。今回飲んだ廉価版2006年も同じ経緯を辿るのではないか。ブルネッロというワインを知ってもらうためには価格的にも適している。
 モンタルチーノのワイナリーを回っていて、近い将来ロッソ・ディ・モンタルチーノの規定が変わるのではないかという懸念をもった。もちろんはっきりとは言っていなかったが、サンジョヴェーゼ単一の規定は崩れて、混醸が認められるらしい。少なくともそれを望む生産者が少なからずいると理解した。ブルネッロに関してはそういう話は出なかった。
 試飲する機会を得た6〜7ワイナリーのブルネッロ2006年は、総じて自分が描いていたような「奇数」イメージのワインではなかった。生産者協会は最高の★★★★★と評価した。こういう歴史的最優良年には、筋肉質で熟成に歳月を要するイメージがつきまとう。一連の試飲を済ませてから、「ワインの飲みごろ」とは何なのか、改めて考え込んでしまった。

San Filippo Brunello Lucere 2006年

 今回のブルネッロ2006年試飲の圧巻は、このルチェーレ(Lucere)。印象はシーロ・パチェンティポタッツィーネの間という感じ。ただこのワインの飲みごろがどれくらい先になるのかは不明。熟したタンニンとほどよい体格、萎えていない果実味、これら三つが絶妙な均衡の上に乗っている。しかし、この傾向はブルネッロ全般のスタイルの移り変わりを反映しているともいえる。イル・ポッジョーネのような伝統派でさえ微妙に変化してきている。収穫からまる4年以上たって、「まだ早い」というのは一体どういうことなのだろうか。ルチェーレは現時点、つまり出荷の時点ですでに緑酒だ。サン・フィリッポ(San Filippo)のジャンネッリ(Giannelli)の説明では、まず10ヶ月間バリックで熟成させてから大樽に移している。イタリアでは珍しくガルベッロット(Garbellotto)社のバリックを使用している。理由は自分が求める焼き具合にしてくれるからだという。木香の乗りがさりげなくていい。ここの畑はモンタルチーノでも、どちらかというと温度が上がらない地域で、収穫前の2カ月、つまり9月、10月の朝晩の温度差は顕著という。ぶどうの香りはこの時期の気温差によって大きく左右される。自然と人の工夫が結びついた結果にただ驚くばかりだ。このボトルには「Brunello 2006 ★★★★★ 」とサンドブラストで書き込みたい。価格は未定ですが、覚悟していただきたい。ルチェーレにはRiservaもあるが、このヴィンテージに関してはこれで十分だ。このワイナリーは『傑作の森』の入り口に立った予感がする。300本限定の予約販売。

Barolo Collaretto2005年(Anselma)

 このバローロは、印象が今も鮮明。それとも、自分のセルラルンガ(Serralunga)系のバローロ体験が薄いから驚いたのだろうか。冬季で降雪が予想されるピエモンテには、初めから行くつもりはなかった。そんな訳でアンセルマもサンプルをフィレンツェまで送ってきた。「この感じなら勧めたい」と思ったものを輸入する。このコッラレットはその典型的な一例。それにワイナリーの規模もエトリヴァンに合っている。まだ「早い」と思いながら開けた。畑がセルラルンガ地域であるし、それにアンセルマはバリックとは無縁の伝統的バローロの元祖みたいなものなので、そう思っても無理はない。おそらく、このバローロは「飲みごろ」の時間域に入っていると思う。収穫年から丸5年。ネッビオーロに特有のタンニンはあるが、はっきりと渋味を感じるものでもない。これが「赤ワインの王様、バローロ」といわれても、意味不明。薬草系の香りはある。ともあれ、とにかく飲み心地がいいので、ついついグラスに手が延びる。何年も待たねばならないバローロもいいが、飲みごろに入ったばかりのこんなバローロも歓迎する。一緒に送ってきたBarolo Rionda Riserva 2004年はコッラレットの反対。ひたすら待ちましょう。これは典型的な「奇数」イメージのワインで、まだまだ調性はハ短調。そう、セルラルンガのバローロ像は、こんな感じではなかったか。

Vernaccia di San Gimignano Riserva 2007年(Panizzi)

 ここまで洗練されてくると、もう比較の相手はブルゴーニュの白ワイン、それも相当できのいいものしかない。値段の話をすれば、さらに相手はいなくなる。イタリアの白ワインでここまでのものは飲んだことがない。仰天するものには何度か遭遇しているが、シャルドネ、ソーヴィニヨン以外の品種ではこれが初めてだ。実は昨年の秋の東京試飲会で、1997、1998年を開けている。97年と比較すると98年はやや疲れ気味であったと記憶するが、それでも立派な熟成ぶりだった。特に97年はフィナーレに完熟した果物の甘い香りが持続していた。このワインが今後どのようなエボリューションを歩んでいくのかは、これら97、98年の例からほぼ想像がつく。2002年リゼルヴァを昼食で飲んだ。このヴィンテージはトスカーナでは雨降りで、不幸な年とされた。しかし、これは赤についての話でヴェルナッチャには通用しない。グレープフルーツ、リンゴなどの香りは2007年に優をつけるが、ボリューム感は2002年にあった。現時点で2007年リゼルヴァは十分に美味しい。価格もかどがとれているので、自信をもってお奨めする。この傑作があの地下壕から生まれたとはとても思えない。

Bianco di Gianni 2006年

 ジャンニ・パニッツィ(Gianni Panizzi)は自分の名前が付いたワインを残していった。ジャンニは残念ながら昨年9月に亡くなった。20年近く付き合ったが、無理を押しつけられたことは一度もなく、本当に働きやすい人だった。このワインはドイツではあまり売れないという。答えは簡単で、ヴェルナッチャ・ディ・サンジミニャーノ(Vernaccia di San Gimignano)DOCGを名乗っていないからだ。このまま生産を継続するか否かを決めかねているようだが、僕としては存続を願う。このワインのほどほどの体格はバリック熟成(11ヶ月)された30%のシャルドネによってもたらされていると思う。ステンレス発酵のヴェルナッチャもその素質を発揮している。このぶどうが長期熟成することは案外知られていない。このことはガーヴィでも同じ。ビアンコ・ディ・ジャンニ(Bianco di Gianni)は飲みごろを迎えている。アフターもかなり長い。これから1-2年が飲みごろ。経験上もっともつと判断するが、美味しいと思った時に楽しんだほうがいい。価格と中味のバランスは群を抜いている。

Ci Fù 2007年

 このワインの文化的なストーリーについては別項に詳しく書いている。中部トスカーナではこういう赤ワインを日常的に飲んでいた。今もワインを消費する家庭では、ワイナリーに行って直接購入している。しかし、彼らが買っているものは品質的にはこのチフー(Ci Fù)より下のものだ。飲んだら合点がいくと思うが、果実も溢れているし、けっこうな体格も備えている。翌日でも崩れないところもこのワインのいいところ。フィレンツェ周辺の「地酒」、つまりキアンティの祖型を伝えているところが、チフーの文化的側面。

Giachi

 今回はジャーキ(Giachi)にも足を運んだ。昨年は量的には平年並みであったが、収穫期の天候が悪く、労働的にはたいへんだったと言っていた。ぶどう、つまりサンジョヴェーゼの収穫が終わると、次はオリーブということになるが、約1ヶ月のズレがある。昔からアドリア海を渡ってくるトラモンターナ(木枯らし一番)が吹き始めると、本格的なオリーブの収穫期に入る。シベリア生まれの乾いた寒風は、オリーブの水分を奪うので、搾油の歩留まりを向上させる。昨年はぶどう収穫後に雨の日が多く、オリーブ農家は一刻も早いトラモンターナの到来を期待したが、残念ながら外れてしまった。結果的に歩留まりは悪かった。しかし、オリーブの結実は良好だったので例年並みの量を確保した。質的にもほとんど変わらないという。ジャーキは今年の春からPrimo Olioの3リットル缶を新たに販売する。要望はドイツのレストランからで、量を多く使用する時には瓶よりも、缶のほうが手っ取り早いからだろう。3リットル缶なら片手でも持てる。ドイツらしい発想だ。

Villa Caprareccia

 重い腰を上げた理由のひとつはこのワイナリー、ヴィッラ・カプラレッチャを訪れることだった。昨年の6月末に行った時にタンクからプチ・ヴェルド85%のワインを試飲させてもらった。品種の名前は耳にしたことはあったが、実際に口にしたのは、この時が初めてだった。メルローとは異なるビロード感があった。今回は昨年の秋に瓶詰したものを飲ませてもらった。寒い日で、薪ストーブの前で30分ほど温めてから試飲を始めた。いつもは同じ敷地の中のアグリツーリズモのレストランで食事をしながら試飲をするが、今回はすぐ近くのフランコの家の台所兼食堂でした。同席した醸造コンサルタントのガデンツ(Gadenz)は、ボルゲリでは気候の変化でメルローはますます早熟傾向になっているが、プチ・ヴェルドは土壌にも合っていて、いい結果が得られていると言っていた。ボルゲリでは風が邪魔なくらい吹く時もあるが、風のお陰で雨に濡れたぶどうも乾く。
 プチ・ヴェルドは「奇数」イメージのワインと思っていたが、試飲したものはそうではなかった。飲み心地は女性的で、きわめて上品な酒質だ。色が濃いので、くどさのようなものを予感したが、実際にはそうでなかった。フィナーレに心地よい苦味が通過していく。僕にはこれがたまらない。カベルネ、メルローに次いで国際品種として定着するのかどうか、自分には判断材料がないが、冷涼なミクロクリマを好むピノ・ノワールよりは可能性を秘めている。ネッビオーロ、サンジョヴェーゼ、ネーロ・ダーヴォラなどに慣れた僕にはとにかく新鮮だった。しかし、このワインの誕生に努力した人たちは、まだまだ時代の波に呑まれていない。70歳近いフランコの手は日々の労働でゴツゴツだ。2人の姪(リアとリータ)も日本的にいうと田舎の人ですれていない。リアは経営するアグリツーリズモのシェフで、料理に関する著作もある。フランコはオペラが大好きで、その世界に詳しい。冬は仕事が少ないので、夕方5時には家に引き揚げてオペラを聴いている。CDやDVDはゼロ枚。LPレコードしかない。愛用の真空管アンプは、スイッチを入れてから30秒くらい待たないと音がまともに出てこない。プレーヤーはベルトが緩んでいるらしく、音が時にヨレる。そんな時代がかった装置を大事にしているフランコに影響されて、僕も最近プレーヤーを買ってしまった。彼のLPは箱に納まったコレクションものが多く、僕がノミの市で1枚2ユーロ払って買ってくるものとは訳がちがう。そういうフランコと上品でモダンなプチ・ヴェルドは結びつかない。バリック8本、2400本の生産量しかない。これだけの本数しかないので優良なワインが出来て当たり前といえばそれまでだが、世の中、そういうものは滅茶苦茶な値段。このプチ・ヴェルドはそんなに高いものではない。フランコは教養人なので、今回もダンテの「神曲」に因んだ命名を考えているのだろうと思っていたら、「カプラレッチャ(Caprareccia)」で意外だった。かって「一山百文」の地であったボルゲリからサッシカイアを追うワインが生まれつつある。6月末に入荷予定。240本のみ。

Tascaの年

 今年はタスカ(Tasca)プロモーションの年。エトリヴァンというとトスカーナ、特にブルネッロのイメージがつきまとうが、実はこのタスカが初めて輸入したワインだった。レガレアーリ(Regaleali)の白を初めて飲んだのはタオルミーナのサン・ドメニコ ホテルのレストランで、1982年の春だったと記憶する。まわりのテーブルを見て「あれと同じもの」くらいのことで、さしたる理由はなかった。
 生産者からの提案もあり、思い切った価格が設定できそうである。もちろんユーロの安定が前提になるが、これはなんとかなりそうな気配だ。これでロッソ・デル・コンテ(Rosso del Conte)は以前のように扱いやすい価格に戻る。このワインはシチリア島から飛び出してしまったような印象も受けるが、これも「時代の流れ」と受け止める。ワインは大地から生まれる農産品のひとつだが、「マーケティング」的な発想も不可欠になってきている。それは映画「Mondovino」で明らかで、ここで書くまでもない。今年はタスカのワインを中心にした試飲会が、福岡、大阪、京都、東京、札幌で予定されている。
 レオーネ(Leone)、ラムーリ(Lamuri)にも特別価格が設定される。これらのワインはシチリアの新しいワイン像を象徴している。従来のレガレアーリ(赤、白)が地酒とすれば、レオーネ、ラムーリは味覚戦争を勝ち抜くために誕生させた「戦略ワイン」だ。レオーネは豊かなフローラルとミネラルが持ち味。ラムーリは南イタリに特有の果実味がいいと思うが、混醸に由来するはなやかさが更に好感度を高めている。30年も前からシチリアのワインに馴染んできた僕は、モダンなレオーネとラムーリに戸惑いを覚える。しかし、これも「時代の流れ」として受け入れる。