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Don Toto (La Lumia)

ドン・トト (ラ・ルミィーア)

自分が歩んだ職業人生で、一番の思い出になるワイナリーだと思う。ただ少し苦みもある。このワイナリーにあまり役に立ってあげられなかったことに対してである。
たしか2000年の秋であったと記憶している。イタリア貿易振興会が主催したワインセミナーでラ・ルミーア(La Lumia)と知り合った。まだまだ工夫の余地があるワインだったが、写真のドン・トト(Don Toto)に興味をもった。インターナショナルなスタイルに向かうワインが多い中で、この赤ワインはまだまだシチリアの雰囲気を残していた。会話が弾んで、注文を出すことになった。ワイナリーを見る前に買い付けることはまずしないが、次の年の5月にパレルモまで行くようになるので、ワイナリーはその機会に訪問する旨を伝えた。
 実は、仕事で出掛けるというよりも、自分の趣味でどうしてもパレルモに行きたかった。2002年5月1日にパレルモのマッシモ劇場で、ベルリンフィルの公演があるからだ。ラ・ルミーアには、入場券の入手如何にかかわらずワイナリーには行くと伝えた。この入場券の入手は至難で諦めかけていた時、ラ・ルミーアから手に入ったことを伝えるファックスが届いた。
 願いはかなった。2002年5月1日、クラウディオ・アバードの指揮でドヴォルジャークの『新世界』を聴いた。アンコールの『シチリアの晩鐘」まで見事だった。市販されたDVDをたまに見ると、なぜこの指揮者が引退記念ツアーの初日をパレルモにしたのか、ふと考える。アバードの母親はたしか、パレルモの出身と記憶している。
 翌日2日、取引先のミッド(MID)の人とレストラン「チャールストン」で昼食を共にした。しかし、取引先との話は上の空で聞いていた。距離はあったが、自分の正面奥の左手の卓に一人で座っている人が気にかかっていた。食事はすでに終わっていて、雑誌のようなものを読んでいた。「たぶん、アバード」いや「まさか」と錯綜が続いた。足元に置いた鞄の中に前日のプログラムが入っていたので、それを開いた。間違いないと確信した。卓から立ち上がる寸前のマエストロに、「マエストロ アバード?」と声をかけた。人違いではなかった。日本から昨日のために来たと伝えたら、マエストロは写真に応じてくれた。2000年に大病を患い、それを乗り越えての引退公演だった。自分の職業を明かしたら、日本では、片岡さんのアル・ポルトで何回か食事をしたと言っていた。あれから8年。マエストロ アバードは元気に活躍している。嬉しく思う。しかし、一方では苦い思いも残る。入場券を手に入れてくれたラ・ルミーアには何の恩返しもできてない。ワイナリーとの間に不快なことがあった訳でもない。ただ取り引きの機会を逸してしまっただけだ。済まなく思っている。彼らのワインを再輸入して恩に報いたい。