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Castello di Ama

Castello di Ama

カステッロ・ディ・アーマ

 アーマとの出会いは、ローマのエノテーカの店主が勧めてくれたのがきっかけ。店の名前は、エノテーカ・バルドゥイーナ(Enoteca Balduina)。1986年から10年近く、ローマに行く度に顔を出した。ここの親爺は強烈で、「ガンベロ・ロッソの発行人のボニッリ(Bonilli)は偉そうにしているけど、俺からワインを教わって有名になったんだけどね」とよく言っていた。それはともかく、僕もこの人からたくさんワインの知識を得た。アーマのワイナリーに初めて行ったのは、1988年ころではないか。当時の販売責任者がシルヴァーノ・フォルミリ(Silvano Formigli)で、エトリヴァンの後の発展を考えると、彼との出会いは運命的だったといえる。アーマに初めて行った日のこと。ここでは昼ごはんはワイナリーが提供しているらしく、僕もシルヴァーノと一緒に、最後の晩餐に描かれているような長テーブルで食事をした。周囲では従業員も食事をしていたが、ワインを飲んでいたのは僕らだけだった。この日の夜はゲストハウスに宿泊させてもらった。夜は静寂のみで、中世の面影が残る館に自分独りしかいないのかと思うと気味が悪かった。ここに来て、初めてラ・カズッチャ(La Casuccia)を飲んだ。これは、スーパートスカーナを先取りしたようなキアンティで、補助品種に当時としては珍しくメルローを混醸していた。今思うと、これが規定に納まっていたのかどうか不思議なところもある。完熟の難しいサンジョヴェーゼを、メルローの持ち味のビロード感で調整してあり、酒質のスムーズさに驚いた。
 この年から2年間、トスカーナを回る最終日は必ずここのゲストハウスに泊めさせてもらった。人気が無くなった館に夕方戻ると、賄いを作ってくれるおばさんが、長テーブルに夕飯の支度をしながら旅の収穫を訊いてきた。肉はいらないと言っても、おばさんは頑強にフィオレンティーナ(Tボーンステーキ)を出してきた。試飲のために用意されたワインから、ラッパリータ(L’Apparita)やイル・キューゾ(Il Chiuso)を手にとると、おばさんは「フィオレンティーナにはキアンティ」と言って一歩も譲らなかった。フィレンツェ訛り丸出しの闊達な気性の女性だった。アーマとの取引は、もう何年も前に終わっているが、この人にはまた会ってみたい。

1990年まではアーマとの直接取引だったが、シルヴァーノが退職独立してから92年までは、彼が設立した会社を通じて輸入した。