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Maculan

Maculan

マクラン

 マクランはアンセルミから紹介されたと記憶している。イタリアでは、ボルドー系のぶどう品種にはたいしたものはないと決め込んでいたので、マクランのカベルネを飲んだ時は「イタリアにもあるんだ」と思った。ただ、このワイナリーが位置するヴェーネト地方北部の気候は、冷涼で収穫年によってはカベルネ特有の青味が引っ掛かった。最近、マクランの1987年を開ける機会があったが、20年経っても青味は消えてなかった。ワインにも生まれの来歴があり、それがまたヴィンテージを語る所以でもある。1986年ヴィンテージのマクラン・カベルネがまだ数本残っている。この年はエトリヴァンがワイン輸入を開始した年でもある。ソ連チェルノブイリ原発事故は1986年(昭和61年)4月の出来事であり、この数年後に輸入された1986年ヴィンテージは、通関時に放射能の測定検査を受けた。
 マクランでは、プラート・ディ・カンツィオ(Prato di Canzio)という重めの白ワインがむしろ僕の関心をひいた。バリックを使用して熟成させたもので、白ワインとしてはかなり珍しかった。マクラン、アンセルミと連れ立ってマントヴァ(Mantova)のイル・チーニョ(Il Cigno)に何度か行った。Vinitaly開催期間中、ヴェローナに宿をとるのは難しく、40キロほど離れたマントヴァが宿泊地だった。わざわざ彼らは夕食のために出かけてきてくれたのである。巷間ではやや格が下がったように云われるイル・チーニョだが、そのころ(1988-1990年)はとても庶民が入れる雰囲気のレストランではなかった。僕は、いつも地場のワインを注文することにしているので、この時もそうしたが、店主のマルティーニは「平地のワインはおいしくない」と言ってソアーヴェのカピテル・クローチェとプラート・デイ・カンツィオをだしてきた。当時としては新しいスタイルのワインだったが、今この種のものは市場に溢れ、そして後発ワイナリーの品質も驚くほど向上している。

1991年まで生産者より輸入。