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G.D.Vajra

Aldo Vajra

アルド・ヴァイラ

このワイナリーとの出会いは、イーゾレのパオロ・ディ・マルキを介してだった。現オーナーのアルド・ヴァイラは、パオロとはトリノ大学で醸造学を学んだ同窓で、ヴィニタリーでも同じブースを分け合って使っていた。この時すでに、チェレットからバローロを輸入していたので買い付けには躊躇したが、輸入する結果になった。蒲田の遺物堂に1978年ヴィンテージのバローロが一本残っているが、「従価税率適用」の裏張りステッカーがないので、輸入されたものではなくワイナリーを訪ねた時にもらったものと推測する。
 ヴァイラは、ラベルの意匠にも工夫を凝らしたバローロを市場に問うている。バローロ-ALBE -の登場で、ややこのワインも近づきやすくなったように思う。アルベを僕は「シティ・バローロ」と勝手に呼んでいる。バローロは、明らかに取っ付きがよくないワインで、赤ワインに馴染んでいる人たちからも、ネッビオーロ種に独特の渋みを理由に距離を置かれてしまう。バローロを緑酒として楽しむには時間を待つ以外にない。少なくとも収穫年から7〜10年を待たねばならず、かなりの忍耐を強いる。バローロの生産者の中には「バローロをダメにするのは、時間を待てない消費者だ」と言う人もいるくらいである。とすれば、早い時期から楽しめるようにすれば受け入れられる訳で、アルド・ヴァイラはバローロ生産に認定されている地域から収穫したネッビオーロを、いろいろ混醸してアルベを造った。いわば早飲みタイプのアルベは、ラベルの意匠も助太刀となってミラノ、トリノ、ローマなど、都市部の若い消費者層にも受け入れられていった。日本の市場でも同様の傾向が見られたが、ヨーロッパ、とりわけアルプス以北の国々ではそれほどではなかった。スイス、ドイツなどでは、赤ワインに固有の渋味を好む傾向があり、むしろタンニンが和らいでいく過程を楽しんでいるようで、伝統的バローロにも根強い人気がある。これらの国は、ワイン生産国とはいっても白ワインが主であり、タンニンを多く含む赤ぶどうは、日照時間の関係で完熟がむずかしい。
 ヴァイラの伝統的バローロ、ブリッコ・ヴィオレ(Bricco Viole)には、輸入以来ずいぶん悩まされてきた。彼はこのワインを「ヴァイラスタイル」の典型といってきた。繊細なタッチはヴィオレの畑の特徴ともいうが、彼の造るバローロのワイン像は掴みにくい。タンニックで気難しいアタックは、クラシックバローロの共通項であるが、「ヴァイラスタイル」には年輪の積み重ねに関係なく、これがはっきりしない。それでは飲みやすいかというと、それほどでもない。というように、ヴァイラのバローロは難解。たとえば、アンセルマ(Anselma)のバローロは、やや粗めのタンニンの押し出しと、酒質の硬質性からこのワインらしさが伝わってくる。ひと言でいうと、飲み心地はよくない。それでも年を重ねて熟成が進むと、タンニンも和らいで取っ付きは格段によくなる。おそらくブリッコ・ヴィオレの醸造過程は、それほど他と変わらないのだろうが、「ヴィオレ」という畑がヴァイラ独特のバローロに大きく関係している気がする。最近になってヴァイラは、複数のバローロ認定地区で畑を購入したり、原料ぶどうを買い付けたりしている。その具体的結果がアルベだが、近い将来さらに面白そうなバローロが出てきそうだ。
 ヴァイラと知り合ったころのワイナリーは狭く、瓶詰後のワインをストックする場所がなくて通路にも山積みになっていた。「醸造所を建て替える時はステンドグラスを取り付けたい」と、建物の中を案内しながら言っていた。時降って20年後、ワイナリーの風景は一変した。彼はステンドグラスから屈折してくる光の中で働いている。ヴァイラ一家はカトリック信仰が篤い。夕食によばれた時、自分たちはこうするからと言って食前の祈祷を始めた。僕はどうしていいか分からなかった。ヴァイラのバローロに調和する光景は、ミレーの「晩鐘」。そして、音楽はブルックナー。この作曲家もカトリック信仰に篤かったという。そのシンフォニーは僕にはやや難解。ここのバローロもまた難解。

1989年より現在まで生産者から輸入。
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