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Felsina

Felsina

フェルシナ

 日本ではフェルジーナと読まれているが、ひとつめの母音にアクセントを置いてフェルシナと発音するのがイタリア語としては正しい。おそらく、イタリアのワイン関係者がフェルジーナと聞いても、すぐにフェルシナには結び付かないのではないか。
 ここのワイナリーは、アーマとほぼ同時期に輸入されていた。キアンティ・クラシコでも南に位置していたフェルシナは、北にあるオレーナと比較させる意図で購入されたのかもしれない。時代としては、1990年代に入ったばかりであろう。キアンティと一緒に赤のフォンタッローロ(Fontalloro)、シャルドネのイ・シストリ(I Sistri)、キアンティ・リゼルヴァのランチャを買った。キアンティは他にもたくさんのブランドが溢れていたから苦戦したが、あまり期待をしてなかったシストリが高価だったにもかかわらずよく売れた。ミッソーニ風のラベルにも助けられたのではないだろうか。当時は付加価値を付けたトスカーナ系の白ワイナリーは珍しく、シャルドネとしてはアヴィニョネージのイル・マルゾッコくらいだった。アーマにもランクを上げた白ワインがあったが、たいした内容のものではなく、販売にはつながらなかった。リゼルヴァのランチャは広い支持を受けたので、二回目の輸入ではこれとシストリだけにした。アーマのキアンティも扱っていたので、フェルシナだけに力を入れる訳にはいかなかった。あの時代は、まだまだ市場規模が小さいのに、持て余す量が生産者からノルマのように提示されてきた。他のキアンティはやめて、自分のところのだけにしてくれという雰囲気が煩わしくなって、二回だけで取引を打ち切った。それに、当時のオーナーは高校の教師をやめてワインの世界に入ったばかりの人で、何となくフィーリングが合わなかった。たぶんこのことのほうが、やめた理由としては合っているようだ。フェルシナの醸造コンサルタントは、ベルナベイ(Bernabei)という人で、この方からはたくさんの専門的なことを教えてもらった。ニェミッツやアッバツィア・ディ・ロサッツォの外部コンサルタントでもあったので、そのことからもすぐに親しくなれた。

1991年から二回だけ生産者から輸入。