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Vie di Romans

Vie di Romans

ヴィーエ・ディ・ローマンス

 フリウリのヴィーエ・ディ・ローマンスも長く付き合ってきたが、これもある日突然、別のインポーターに移った。ワイナリーはジャンフランコ・ガッロ(Gianfranco Gallo)を中心にした家族的規模だったが、今はその生産量から推測して、家族だけではできないのではないか。
 ワイナリー名は、畑の脇の古代ローマ時代の街道跡に由来する。ワイナリーの周辺、つまり、ぶどう畑はめずらしく平坦で、丘陵に見慣れた自分には少し違和感があった。初めてこのワイナリーに行ったのは1991年の春と記憶する。ローマから国内線に乗ってトリエステまで行って、後はレンタカーで回った。イタリアでもフリウリまで来ると、何となく文化の違いを、例えば建物に感じた。人が少なくて、道を訊こうにもそもそも歩いている人がいなかった。当時は携帯電話もないし、目的地にやっと辿りつくという感じだった。
 ヴィーエ・ディ・ローマンスは、ローマの友人宅で初めて飲んでいる。近くのエノテーカの主人から勧められたのだろう。このレベルの白ワインがフリウリでは珍しかったという訳ではなく、イソンツォ(Isonzo)地区のワインを取り扱いリストに加えたかったからだ。つい最近、シャルドネ1989年ヴィンテージを開けた。昭和最後の年、平成元年のワイン。もちろん美味しいと言って飲むレベルではない。おそらく、それは10年前までの話。ワインからアルコールが抜けてしまった様な感じもしたが、液体の色は古色蒼然としたものではなかった。ジャンフランコのワインの健康寿命は長い。瓶詰め後5~10年で飲むのがここのワイナリーを楽しむ秘訣と思う。たまに「最近のヴィーエ・ディ・ローマンスのワインは変わった」と耳にするが、僕には分からない。ただひとつ気になるのは、白ワインの品質に比較して、赤ワインが見劣りするような気がする。ジャンフランコのぶどう畑は、赤ワインには向いていないのかもしれない。ローマンスの白ワインは、品種ごとにまだかなりの本数を取り置きしている。自分ではもう輸入していないから、持っていても仕方ないと思う時もあるが、いい勉強材料にはなるだろう。
 古いヴィンテージを開けた時は、必ずその時の印象をジャンフランコに伝えている。ビオワインについて彼の見解を求めたりしたこともあった。取り引き関係が消えてしまったのに交流があるのは不思議。

1991年から2003年まで生産者より輸入。