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Casanova di Neri

Casanova di Neri

カザノーヴァ・ディ・ネーリ

 略してネーリと呼んでいるエトリヴァン三番目のブルネッロは、セレツィオーネ経由で入ってきた。蒲田の遺物堂には1986年リゼルヴァが残っているが、少し前までは79、80年もあった。86年は昭和61年で、チェルノブイリ原発事故の年。その一年前に日航ジャンボ機事故が起きている。ワインも老いるはずだ。86年リゼルヴァはまさに「遺物」で、ワインとして(飲み物として)の寿命は終わっている。今世紀に入ったばかりのころ、すでにその兆候はあったが、そこから下るスピードが予想以上に速かった。このあたりがバローロとかなり違っている。収穫年による要因もあるので緊張して言うが、バローロの方が健康年齢は長いようだ。蒲田の遺物堂には1985年以降のヴィンテージバローロを、さまざまなワイナリー、また畑別に残してあるが、まだまだ意気軒昂というものも少なくない。
 初めてここを訪ねた時は、先代のジョヴァンニは元気そのもので、トラクターの助手席に僕を乗せて畑を案内してくれた。息子のジャコモ・ネーリは、新婚旅行から戻ったばかりだったと記憶する。90年ころと思うが、ネーリの貯蔵庫で79年ヴィンテージのブルネッロを見つけて昼食に開けてもらった。10年以上経過したものが倉庫の隅に山積になった状況は普通ではないので、あまり期待もせずに飲んだ。やはりその通りで、当時の流通ヴィンテージの85年といっしょに、熟成したブルネッロをぶつけるのも面白いのではと考えて思い切って輸入した。値段が安かったこともあり、よく売れた。二回目は確信を持って倉庫に残った全量を買い取った。これらはすべて売れてしまって、残念ながら一本も残ってない。95年にイル・ポッジョーネからバックヴィンテージのブルネッロ77、78、79、80、81年を各12本購入して比較試飲した。79年を比較したが、ネーリは日本に輸入されてすでに5年。「お疲れさま」の風情。イル・ポッジョーネは、モンタルチーノの町を挟んで南、ネーリは北というやや乱暴な比較だったので、もしここに中間地帯のもの、たとえばビオンディ・サンティなどがあれば、職業上またとない経験になったであろう。
 ネーリのワイナリーの中には、当時まだ珍しかったバリックが雑然と置かれていた。このころモンタルチーノで、ブルネッロの熟成にバリックを使っていたのは、たぶんネーリとシーロ・パチェンティくらいだったのではないか。90年以降、ネーリのブルネッロに飛躍的向上が見られたのは事実で、イタリアでもアメリカの専門誌でも高い評価を受けた。ただ価格も出荷時にいきなり4割もアップさせるなど滅茶苦茶で、不信感が募って2003年以降は近寄らなくなった。
  ネーリのブルネッロは、2008年4月のブルネッロ偽装疑惑の渦中に巻き込まれた。ブルネッロの規定に背いて、サンジョヴェーゼ以外のぶどうを混ぜて醸造したにもかかわらず、これをブルネッロとして出荷した。明らかな食品偽装である。超スーパートスカーナワインの誕生とでも銘打って市場に問うべきだった。司法より、2003〜07年ヴィンテージまですべてのブルネッロの格下げを命じられたというから、2013年に出る2008年ヴィンテージまで、カザノーヴァ・ディ・ネーリのブルネッロはない。経済的損失はもちろん、ブルネッロ生産者としてのダメージは計り知れない。2003年は、22800リットルがブルネッロとしての出荷を認められず、このワインと比較すれば、たとえ品質が良くても二束三文でしか売れないクラス(トスカーナ地域限定呼称ワイン)に格下げを命じられている。アメリカのワイン専門誌から高い評価を受けていたこれ以前のネーリのブルネッロは、醸造規定に従ったサンジョヴェーゼ種単一のブルネッロだったのだろうか。これは正当な疑問である。
 2009年7月、福岡市のサーラ・カリーナでネーリのブルネッロ95年チェルレタルトを飲む機会に恵まれた。まだ先があるワインと評価したが、昔のブルネッロは収穫から14〜15年の経過では、ここまでやわらかくならなかったように思う。バリック熟成のブルネッロは、ひょっとしたら寿命が短いのかも知れない。残しておいたブルネッロは数多いので、これから体験的にこの点を探ってみよう。
 ネーリと取引を始めて間もないころの話。ストライキが日常茶飯事のイタリアなので、トラック輸送のストを別に気にもとめてなかったが、給油所にガソリンを運ぶタンクローリーも見かけなくなっていった。高速道路のスタンドだけは供給が保障されているというので、一日の終わりに高速道路に入って満タンにしてから宿に戻った。訪問する約束をしていたジャコモに「ストで行くのは無理」と電話したら、シエーナの町まで迎えに来てくれた。彼の車はディーゼルらしく、「空になったらトラクターから軽油を抜き取るから」と笑い飛ばした。

1979-1990年ヴィンテージまで輸出商社より輸入。1991年以降1999年まで生産者より輸入。