草創期▼
開拓期▼
Poggio di Sotto

Poggio di Sotto

ポッジョ・ディ・ソット

 このワイナリーから輸入するに至った経緯は、モンタルチーノの複数の地域からブルネッロを集めたかったからである。ここはマストロヤンニの近くでモンタルチーノの南西に位置し、ぶどう畑は海抜200〜400メートルの地帯に広がる。トスカーナ北部の標高400メートル地帯では、サンジョヴェーゼの完熟は毎年という訳にはいかないが、南部のモンタルチーノでは珍しくない。標高差がブルネッロにどんな影響をもたらすのか。標高差は昼夜の気温差に結び付き、ワインの色にも関係するのか。テロワールとワインのつながりにいろいろと興味をもった時代で、このことばかりを考えてブルネッロを買い漁った。どこかにも書いたが、ブルネッロに関しては「分かったような分からなかったような」やや淋しい勉強になってしまった。結果として、定年後にモンタルチーノで店を開けるくらいのブルネッロが残った。
 ワインのスタイルとしては、レ・ポタッツィーネに近かった印象を持つが、今は扱ってないので分からない。バリックを思わせるようなところもあったが、行ってみると中樽で新しいものだった。バニラ香がワインにほどほどにのっていたし、酒質の厚みもあった。値段は高く、購入できる店は限られていたような気がする。どのくらいの本数を買ったのか過去の記録を辿ってみたが、あまりにも前のことで探しきれなかった。それでも、駒岡倉庫にも遺物堂にも殆ど残ってないから売れたのだろう。
 ブルネッロの生産本数は、当時12000本でワイナリーとしての規模はかなり小さい。これにロッソ・ディ・モンタルチーノを足しても、設備投資に見合ったリターンは薄い。だからといって一気に価格を上げたとは考えにくいが、二回目にオファーしてきた値段は、とても市場に提案できるものではなかった。当時、オレーナのようにチェパレルロを5年で倍の値段にすると言い出したところもあり、事実、ユーロ貨での出荷価格はそれに近くなった。スーパートスカーナの爆発的ブームで設備投資に走ったところほどこの傾向が強い。ポッジョ・ディ・ソットも、彼らの言い値で買えば「この値段で誰が飲むの!」というくらいのワインになり、輸入者の購買意欲をすっかり委縮させた。

1996年ヴィンテージのみ生産者より輸入。