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Ghizzano

Ghizzano

ギッザーノ

 このワイナリーは、もともとセレツィオーネの扱いであった。ここもある日、前触れもなく日本の輸入業者を変更した。セレツィオーネのパッケージの中にあっただけで、輸入に関してそれほど深い動機があった訳ではない。事実、ここが生産しているワインは、職業的な堪ではすぐに市場で動き出すようなものではなかった。たとえば、キアンティは安かったが、酒質は痩せ気味で香りも弱く、販売に力が入らなかった。このあたりが、キアンティとキアンティ・クラッシコの分かりやすい相違であろうか。やや話はそれるが、キアンティ・クラッシコとキアンティ・ルーフィナ(Chianti Rufina)を比較すると、どちらに優をつけるかは難しい。フレスコバルディのイル・モンテソーディ(Il Montesodi) 97年は、この地域=ルーフィナではすこぶる上出来だった。僕自身が、キアンティはクラッシコに限るという、妙な信奉者であったが、このイル・モンテソーディで冷静になった。もっとも、97年は珍しくサンジョヴェーゼが完熟したヴィンテージで、どの地域のキアンティも出来がよかった。ギッザーノのワインも97年は果実味が厚く、色も豊かで驚いたが、押し出しはやっぱり普通のキアンティだった。異なるカテゴリーのワインを飲んでいるのだから、むしろ違って当たり前と考える。メルロー主体のナンブロー(Nambrot)は、疾風怒濤のスーパートスカーナ市場で揉みくちゃにされた。メルローは、トスカーナのテロワールに合ったぶどう品種で、優れたものが最近は多い。しかし、いきなり先行ブランドに近い価格で出されてきたので、時代の流れに乗りきれなかったのではないか。
 ギッザーノのワイナリーに行ったのは一度だけだが、その日のことは記憶に残る。昼食は経験したことのない雰囲気で、料理は取り分けされて出てくるのではなく、白い手袋の女性(給仕人)が、料理を盛り付けた銀製のお盆を持って客の間を回った。自分が食べたい量だけを取ればいいのだが、緊張してうまく皿に移せなかった。テーブルにはナイフ、フォークなどがセットされていて、高校を卒業する際に習ったテーブルマナーを思い出そうとしたが、食事の流れについていけなかった。オーブンで焼いたうさぎの肉を、ギッザーノの人たちは上手にナイフとフォークを使って口に運んでいたが、僕は「もうこれしかない」とばかり、手で掴んで肉だけを噛んだ。鳥の手羽みたいなものをナイフとフォークを使って、骨と肉に分けるのはとてもできない。全く食べた気のしない昼食で、次に来ることがあったら、食事の時間帯は避けようと思った。それでもセレツィオーネから離れるまで5〜6回は輸入した。比較的好調だったヴェロノーゾ(Veneroso)は、マグナムボトルが今も数本残っている。

1993年から2001年まで輸出商社から輸入。