草創期▼
開拓期▼
Picollo

Picollo

ピコッロ

 ピコッロも長い。少なくとも10年は付き合っている。セレツィオーネ経由でガーヴィをスパリーナ(Sparina)から買っていたが、何の前触れもなく日本に入らなくなった。イタリアとのワイン取り引きでは、突然こういうことが起きる。もう何度もこの類のことは経験しているので、別にまたかくらいにしか思わない。某インポーターが扱うことになったらしいとかの噂話が流れる。「エトリヴァンさん、またよそに盗られてしまったのですか」と、販売先から問い合わせの電話がかかってくる。売れるとなれば手段を選ばずの風潮が、生産者にも日本の輸入者にもある。生きていくにはすべてをしなければならないが、それでも日本は「武士の一分」を大事にしてきた社会であったはず。たとえ商いは小さくても、「自分で探し、広めた」という誇りを大切にしたい。
 スパリーナの代わりに、セレツィオーネは新しいガーヴィを探して、彼らの取り扱い品目に載せた。自力で代わりのガーヴィを探そうとも考えたが、セレツィオーネの売り上げに穴があいているはずなので、勧められたピコッロを輸入することにした。ロレンツォ・ピコッロは、父親のエルネストと一緒にワイン造りをしている。彼らは百姓の風貌で、握手した手もごつかった。彼らと畑を見に行く時はポンコツ車に乗る。戻ってくると靴の色が分からない。今年(2009年)のVinitalyのブースでは、いつ流行ったか見当がつかないネクタイをして接客していた。素朴を絵に描いたような人たちだ。
 ロレンツォの家は、もともとぶどう栽培農家で、昔は収穫したぶどうは、近くのラスコルカやユスティニアーノに売却していた。父親の代になってから、醸造設備を入れてワインを造り出したが、地場で売り切ってしまう程度の量だった。ロレンツォが中心になってからは、収穫したぶどうはすべて自分のところで醸造し、自己ラベルのガーヴィを造った。ただ、販売は地場を除いて、あとはすべてセレツィオーネに委託した。こうしたほうが畑の仕事に集中できるからである。
 昼食のテーブルには、父方の祖母(92才)も加わる。彼女は普通のガーヴィのほうが安くて美味しいと言う。その通りだ。生ハムなどの前菜にはこれが一番。しかし、ここのガーヴィ・ディ・ガーヴィは金箔つきだ。素性が良ければ化粧はなしでいい。樹齢とか気候、土壌など、いくつかの要因が幸せな出会いをした結果なのだろうか。
 ロレンツォにビオワインについて訊いたことがあった。彼はこんなことを言っていた。「自分たちは、ぶどう畑のど真ん中で生活しているようなもの。ここで生まれて、ここで仕事をし、自分の小さい子供たちもここで育ち、やがてワイン造りをしていくのであろう。自分たちの生活の場であるから、できるだけ汚染させたくない。そのためには、出来る限り畑には余計なものはばらまかないほうがいい」と。

1997年ころより輸出商社から輸入。
ピコッロHPへ