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Aldo Polencic

Aldo Polencic

アルド・ポレンチッチ

 アルド・ポレンチッチとは、偶然に近い出会いだった。たしか、2002年2月と記憶している。たまたま行ったフランコ・トーロスのワイナリーで試飲をさせてもらって帰ろうとしたら、「あそこはアルド・ポレンチッチだけど」と言って、ブドウ畑を挟んで反対側にある農家を指差した。行ってみようと言うからフランコに従った。「ボンジョルノ」と握手を済ますなり、アルバムのようなものをテーブルに開いて、そこに自分の名前を書くように言われた。
 訪問者の記帳を求められたのかと思っていたら、どうもそういうことではないらしい。自分のところには、サッカーのロベルト・バッジョがときどき顔を出すから、サインをもらっておいてあげるということらしい。
 ここも少しずつ設備投資をしているので、ワイナリーの中の清潔感は飛躍的に上がった。以前は、食べ物を扱う環境としては「大丈夫かな」と思うところもあった。03年9月に訪ねた時は、ちょうど発酵時期と重なった。中は甘い果実臭が漂い、小さな虫が飛び回っていた。自分が見た光景とは裏腹に、この年のワインの出来は非常に良かった。それはメルロー・ウーニコ(Merlot Unico) ‘03が証明している。ポレンチッチのワインも長熟系で、楽しむまでに忍耐を要する。現在も、白ワインを複数ヴィンテージで取り置いているが、どのような飲み方をすればいいのかよく分からない。アルドのワインの中では、やはりピノビアンコの評価が高い。これは、僕にとっては本当に難しいワイン。フリウリの白ワインを扱う限り、ピノビアンコは投げ出せない。
 ポレンチッチは、フィレンツェで醸造を学んだ妹のマリンカ(Marinka)の助けを得て、次の時代を考えているようだ。そういえば、以前彼は、自分の白ワインはもう少し工夫のしようがある旨のことを言っていた。また自分の畑にはピノグリージョが合っているとも言っていた。
 数年前にビオワインについて訊いたことがあった。答えは実にさっぱりしたものだった。「今のワイン醸造技術では亜硫酸を使用せざるをえないけれど、それを使わなくても済む技術が確立されれば、自分は誰よりも先に使いたい」
 ポレンチッチの家の前の道を1キロも歩くと、そこはもうスロヴェニアとの国境。国境がないところに育った自分には何とも不思議だ。ただし、スロヴェニアの国境検問所からは、日本人のパスポートでは往来が出来ない。収穫期には、スロヴェニアからぶどうを摘むアルバイトの人たちがここを往来する。

2001年ヴィンテージから生産者より輸入。