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Doro Princic

Doro Princic

ドーロ・プリンチッチ

 ワイナリー名はDoro Princic となっているが、創業したドーロは数年前に90歳で他界した。僕が知り合ったころ(1996~97年)には、すでに息子のサンドロが中心になっていた。振り返ると、プリンチッチはニェミッツに紹介され、取引を始めた最初のワイナリー。当時は、コッリオ(Collio)地区のワインを探していたので、タイミング的にも良かった。プリンチッチの名刺代わりのピノビアンコが気になっていて、すぐにワイナリーを訪ねた。出迎えてくれたのは、僕の苦手な大型犬だった。その名、ビアンカ。真っ白い犬で近寄ってきても怖くなかった。試飲に来たのに、ここはすぐに酒盛り状態で、仕事は断念せざるを得なかった。「何か特別ある」と訊かれたので、迷わずにピノビアンコを開けてもらった。告白めくが、今もピノビアンコのワイン像が描けてない。瓶詰め後数年を待って飲むのが、少なくともコッリオ地区のものに関しては常識。酒質が厚く、その厚みをイタリア語では「バターっぽい」と表現することも珍しくない。たとえば、ヴェルメンティーノの系統とされるピエモンテのファヴォリータ(Favorita)は、白ワインとしてはかなりの長命である。口は悪いが、このワインはただ長く生きるだけで成長らしきものがない。一方のピノビアンコ、特にコッリオ地区のものには熟成の結果が見られる。天候に恵まれた年のピノビアンコは、上質なシャルドネ以上とも言うから、そういう出会いを求めて10年間プリンチッチと付き合ってきた。それでも何がいいのか、自分には分からない。日本ではこのブドウ品種は不人気だ。自分は単なる「判官びいき」になっているのかもしれなない。
 プリンチッチでは、日本的な「朝一番で」が通じない。午前中のおかしな時間帯に来られても、サンドロとグラツィア夫婦にとっては「朋有り、遠方より来る。亦楽しからずや」にはならないのだ。万里の空路を旅して来る自分には仕事が大事であり、酒盛りになってしまうプリンチッチは敬遠してしまう。行く時は、フリウリの初日か最後の日の朝と決めている。朝10時頃に到着し、2時間くらいで最低限の試飲をする。試飲できなかったものはフィレンツェまで持ち帰る。「はい、出発」と立ち上がると、グラツィアが目の前の皿に残った生ハムとサラミでパニーノを作って持たせてくれる。
 ここの生産量は50,000本程度で輸出は殆どない。しかし、話をきいているとオーストリアやドイツにも売っている。フリウリは、スロヴェニア、オーストリア、ドイツに隣接しているので輸出とは思っていないらしい。また、年間600本は自家消費するとも言っていた。僕が購入するのは、年間多くても600本位でたいしたことはない。ここはすべてが違う。注文はファックスでもメールでもない。ある時は手紙で、またある時は絵葉書で、「いつものをパレットにまとめて送って」という様な調子である。いつまでも友達でいたい好人物達だ。

1997年より生産者から輸入。