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Piero Masi

Piero Masi

ピエロ・マージ

 ピエロと知り合ったのは、イゾーレ・オレーナだった。彼はオレーナの畑の仕事が主で、農業技術者だった。父親のアントニオ時代からぶどうを栽培してきたので、北部キアンティ地区の事情には精通している。父親の代には、メルロー、サンジョヴェーゼ、トレビアーノなどをアンティノーリに売って生計を立てていたという。ピエロは、オレーナで20年近く働いて、父親が残した仕事を引き継いだ。オレーナを辞めてからしばらく会っていなかったが、VINITALYの会場でばったり会った。その時、彼がかばんの中に入れていたのが写真のチェヴォリス(Cevolis)で、すぐに試飲しよういうことになった。会場にピエロのブースは無いので、彼の知り合いのテーブルで飲ませてもらった。他人の軒先を借りて試飲をした訳だ。気に入った。後はいつものペースで、数日後に彼のワイナリーに行く約束をした。ワイナリーはやっと最近再稼働させたという感じで、清潔度は辛うじてプラスくらい。しかし、最近はかなり向上してきている。
 ピエロの家の周辺は、キアンティ・クラッシコの北限地域で、サンジョヴェーゼの完熟は数年に一回しかないので、メルローを植栽している。チェヴォリスも、メルロー単一で良く出来ている。僕に向かって「自分は自分が造ったワインしか分かっていないから、どう思う?」と訊いてきた。僕はワイン評論家ではないから、市場に受け入れられるか、そのためにはどんなトークをしたら良いのかを考える仕事。はっきり言って、この時代、良いワインより変なワインを探す方が難しい。20年前は、これはというワインを見つけるのに苦労した。たとえ出会っても、値段で折り合いがつかなかった。ところが、今はそこそこ美味しくて、ほどほどの価格のものがいくらでもある。
 ピエロのところには、年に二回は行く。春は畑の中を歩きながら、秋は暖炉の前のソファーに腰をおろして、話に耳を傾ける。彼は、この2年間は年に三回、インドのムンバイを往復している。ムンバイ近郊のワイナリーで外部コンサルタントを務めているからだ。僕が「一度飲んでみたい」と言ったら、即座に「止めた方が良い」と返ってきた。
 ピエロの家の昼食には、春も秋も暖炉の薪でグリルしたTボーンステーキが出てくる。パンに塩味が無い。ワインを飲んでも、このパンで口の中は元に戻る。フィレンツェの学校に通う子供たちが戻ってきてからの昼食なので、食べ始めるのは早くて2時になる。 これが辛い。でも、ここは僕のワイン学校。ピエロにも職業人として一人前にしてもらった。

2001年ヴィンテージから生産者より輸入